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消えた日本文化(3)

2026.06.21

消えた日本文化3

弊社で提供している文化体験の中に「金継ぎ」があるが、江戸時代には「継ぎ物師」という職業があったそうだ。江戸時代になると茶道の文化が庶民にも広まった。しかしお茶碗は高価なものであったため、割れても漆で継いで愛用していたようである。

江戸時代は、数多くの文化や職業が生まれ、発展した時代ではないだろうか。日本における時計の歴史にも「時計師」が現れる。

しかし、まずは、日本に「機械式時計」が伝来したのはいつの頃か考えよう。

先人の研究では、『大内義隆記』の「天竺仁ノ送物様ノ其中ニ、十二時ヲ司ルニ夜ル昼ノ長短ヲチカヘズ響鐘ノ声…」が最も古い史料と言われている。『日本布教史』にも西暦1541年に宣教師が山口の探題大内義隆に機械時計を献上したとも残っているそうである。

日本での時計製造については、『尾張史』の中で外国製の時計を模造した旨の記述があり、寛政年間には『機巧図彙』という時計製造に関した書物が残されている。弘化年間にはある時計師が小型の時計を作ったという。さらに嘉永三年には田中久重によって「萬年時計」が発明された。

勉学に疎い私には何やら難しい話である。

多少の誤りはあるかもしれないが、戦国時代には時計らしきものが渡来し、それを模造し、江戸時代には書物として残されるほど製造技術が確立した、ということであろう。

さて、ここで「時計師」が現れてくるのであるが、それはまた今度述べたいと思う。

経理スタッフM